理究の哲学(エンジン)

第二章 自分ノ学

第六項 目標設定と記録のススメ

― ”年頭の決意文”を実現するコツ ―

毎年正月に「年頭の決意」を密かに念じたり、誓ったり、表明している人もいるでしょう。あまり硬く考えず、「新年の抱負」くらいの感覚の人もいるかもしれません。1年という括りでリセットできる年末年始 ― 正月という文化は、気分転換には程よく、なかなか素晴らしいモノです。
しかし、毎年儀式のように立派な”年頭の決意文”でも実現できているものは、多くはない、いや、むしろ少ないのでは?それは、なぜでしょうか?
以下、できない要因を4点考えてみました。

1. 多くの人は、自分の力を過大評価する傾向があること。つまり、このくらいは自分ならやれる、やりたい、と現実より希望を優先しがち。

2. 1.に加え、年末年始という日常の延長線ではない時期、いつもより興奮度が高く、現実離れした思考が働きやすくなる。今年こそ!に力が入る。

3. 目標を阻む不測の事態のリスクを過小評価する傾向があること。

4. 毎日繰り返す = 習慣化することは、誰でも苦手であること。

「今年もできなかったァ~。よ~し、来年こそ頑張ろう」と、繰り返す人もいます。できないことを繰り返すと「挫折感、敗北感」(”学習性無力感”)を学習し、自己肯定感が低くなるので要注意。達成感が得られなければ、自信がつきません。そうすると、徐々に目標設定することが臆病になってくる負のスパイラルに陥ります。特に健康的な理由だけで生活習慣を変えるのはハードルが高いようです。

さて、”学習性無力感”を避けるコツは大きく3点。

1. 目標を、苦手克服ではなく、好きなことに絞る
好きなことでないと継続ができません
(長所進展法に特化する。得意な分野を広げる)

2. 大きな目標ではなく、小さな目標にする
小さな目標を達成することで次年度の目標に繋げる

3. 決意文を誰かに公表する
友人、家族、同僚・・・人に言うことで自分に負荷をかける

現在、成人した息子たちとは同居していませんが、「年頭の決意文」の表明と提出は、中学生の頃から義務化させています。我が家の年中行事というモノで、強制です。拒否する権利は持たせていません(笑)。
実現不可能な夢物語のような決意文もあります。毎年実行しているので、記録として残っています。私も含め、それぞれが失敗や挫折を繰り返し、失笑を買いながらも、徐々に実現可能な目標に変化していきます。
「ああ、この時期、○○は、どう生きるべきか葛藤していたのだな」
「プライベートも仕事もだんだん調子が上がってきた時期だな」
いい思い出となっています。将来、息子たちにも、彼らの伴侶と子どもたちに、同じようなこと(家族の心のベクトルを同方向に持っていくような仕掛け)をして欲しいと念じています。
家族一人ひとりが、どういう目標で設定するのか、一人ひとりが何を考えているのか、そしてそれに対して努力をしたのか、または挫折したのかも含め共有化することが、相互理解の”キッカケ”にもなります。
「年頭の決意文」は、一年一度の家族イベントです。親が真剣に書いているので、そのことは自然に通じるようです。私自身は、少なくともこの一年間は”生命体”として生き続ける暗黙の了解の上で書きます。
果たして、私はいつまで生き続け、いつまで”年頭の決意文”を書き続けるのでしょうか?

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