理究の哲学(エンジン)

第二章 自分ノ学

第一項 自己分析のススメ

― 自己愛の危機 ―

個人の自己愛が危機に瀕したとき、行動が病的に二通りに分かれるようです。
ひとつは、排外主義的なヘイトスピーチやネット右翼(通称ネトウヨ)言葉に代表される他人バッシング。人間とはこうも”おぞましい生き物”である証明がそこにはあります。彼らの頭の構造を疑いたくなるような言動には、そろそろ法的な規制が必要だと考えています。(残念ですが、2015年度中の法制化の動きは、流れました)
「表現の自由」といって、人間の人格を否定していいはずがありません。
他人を傷つけて守られる自由は、民主主義の基本原則「基本的人権の尊重」に反するからです。彼らは、自分自身を守るために、自分の正当化を必要以上に主張したりします。
もうひとつは、表面的には沈黙を守りながら、内申では膨張した自己像を描き、守ります。極端な例が”引きこもり”と言われているものです。これ以上、自己を傷つけないよう心の中に、自分の殻に逃避する現象です。
「自分自身が一番大事」であるがゆえに、社会不適応を起こすという、これまた不思議なことが発生するのです。幼少期からの”度を過ぎる甘やかし””子ども中心の生活””父親不在”などが遠因になっていることが報告されています。
大事なことは「自己愛」→「利己」と上手に付き合うことなのです。
そして当然ながら「他者愛」→「利他」を育むことでも同様です。

「自分のことで頭がいっぱい」って人は、結構います。働き始めの新卒の青年たち。異動により新しい業務を覚えるのに必死な会社員。それはそうでしょうね。普通です。自分を大切にする、自己愛のない人間はいません。
人間として、これは根本的な欲求であり、自分自身もそのことに対して罪悪感を持たないことです。加えて、無闇に他者を否定しないことです。
若者は逞しく、いつまでも”あっぷあっぷ”はしていません。新しい職場には最初は不慣れでも、人間は、何度も失敗しながら、経験を踏みながら進歩します。もしも、それを活かせないとしたならば考えなければなりません。頭を使うことです。

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