理究の哲学(エンジン)

プロローグ

無知の知

コツは、簡単に信じないということでしょうか。

しかし、「信じない、信じない」とバリアばっかり張っていると、自然に肩が凝り、眉間にしわができます。美容にはよくありません。
それに、除々に人が離れていきます。腕組みをして防衛体勢丸出しの人に、好んで話しかける人は、よほどの目的がなければしないでしょう。
構えている人とコミュニケーションをとるのは、ひと苦労ですからね。
人間関係術を大事にしながら、複眼的にモノを見る感じでしょうか。

「なぜ成績が伸びない?」
「なぜ勉強をしないの?」
「なぜ時間が確保できないの?」
「なぜ仕事が長びく?」
「なぜもっと効率的にできない?」
「なぜ儲からない?」
と、日常生活や仕事のやり方に疑問を持つことはあります。
誰でも、いつでも、どこでも問題の壁にぶつかる可能性はあります。
それを解決したいと感じ、思い、不平や不満をぶつける・・・・・・・・・でもそのまま。粘り強く、執拗に、何が何でも・・・・・・と、一瞬思うが、意外とやらない。

なぜなら、人間は考えなくても生き、生活することができるからです。
「論理的に考えれば、解決策は、~」
「原因は、これとこれだよね。では、こう考えたらいいかもね~」
と、冷戦沈着にかつ教科書的な行動はなかなかとりません。

前に紹介したシステム1=ファスト思考を優先するからです。
人間は脳を使うとブドウ糖が大量に消費されます。脳でエネルギーのおよそ20%が消費されています。だから脳を使うと疲れる、と言われています。
人間は、基本的に疲れることを避けることは経験上知っていますね。

人間の行動を観察すると結構面白く、
「人間とは、矛盾だらけ、いい加減な行動もするし、まともな行動もする生き物なんだぁ」と考えれば「私は、あの人を信じたのに・・・・・・」なんて真剣に悩まなくて済むのです。
過大評価も過小評価もしない。

親や教師が「考えて行動しなさい!」と口すっぱく言うのは、自分たちがそれをできなかったから、と考えると気が楽になります。「考えて行動する」人間は少ないのです。
そして、「聖人君主」はこの世にいない、「神」は存在しない、と考えると世の中の不条理さや理不尽さも受け入れることができます。
存在するのは生身の人間、そしてその命は有限なのです。

“考えなければ動けない―そんな人間は、俊敏な外的に攻撃される”“それに、直感でも多くは間違えない”という説にも納得です。
一方、直感に頼りすぎると火傷をすることも、あなたは知っているはずです。

古代の人は、自然の畏敬に触れ、人間⇔自然(人間と自然の関係)を学んできました。
学ばなければ、生き残れないからです。
アニミズム(自然崇拝)が発生し、その発展系としての宗教も芽生えました。
絶対的なものを創造しなければ、争いが絶えないからかもしれません。
安らぎを得なければ、生きていけなかったからかもしれません。

ギリシャ時代になって、自然の法則を見出そうとして科学が誕生しました。
ギリシャ三大哲学者(ソクラテス、プラトン、アリストテレス)の名前を聞いたことがある人もいるでしょう。ソクラテスは、対象を批判的に検討することで、物事の本質を暴きだすという哲学の手法を確立した人物です。

『知ったかぶりをするな!』
と、先生や両親や上司に言われた経験はありませんか。
もとを糺せば、ソクラテスの教え「無知の知」です。
「無知の知」に基づく「問答法」は、決して知ったかぶりをするのではなく、常に謙虚に他者と対話をし、相手に質問を繰り返し、相手自身の口から真理を導かせる手法です。

“謙虚に対話する”
“質問を繰り返す”
やぁ、参りました。あなたはできていますか。
それが古代ギリシャで行われていたのですから驚きです。
現代人である私たちも学びましょう。

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