理究の哲学(エンジン)

第四章 未来創造ノ学

第二項 次なる目的は「授業革命」

― 国語の「授業革命」 ―

学校でも、塾でも、国語の授業は基本的に一斉授業です。
小学1年生の段階で、優秀な生徒と平均的な学力の生徒では、およそ2学年程度の語彙量に差があります(読書指数(R)診断のデータより)
当然、理解度も違います。学年が上がれば上がるほど差がついていきます。
データを見る限り、中学生でも小学4年生レベルの語彙力しかない生徒も少なくありません。

理解度の違う生徒を一人の教師や講師が指導するのですから、無理が生じます。能力差を考慮した授業で、生徒の力を伸ばせる先生は、相当な指導スキルや方法論を持っている方です。現在行われている集団授業では、生徒たちに“学習性無力感”を与えている可能性もあります。
学習性無力感とは、「やったって、わかんねぇじゃん」の類です。
旧態依然とした授業でも、弱者であり、消費者であり、受身の生徒たちは反抗しません。沈黙します。国語は日本語ですから、数学や英語と違って、チンプンカンプンでもゼロ点をとることはありません。しかし、国語の一斉授業形式で子ども達の能力が伸びるのでしょうか?授業そのものが成立しているのでしょうか?この点においては、私の脳は、完璧に“悲観脳”が活性化しています。

私の懸念が、少なからず当たっているならば、これは大変です。なぜって?学校運営が税金で賄われている以上、健全なモノに変えるべきです。
ところで、公立小・中学生の国語の学習時間は、週何時間あるか知っていますか?知らない人が多いでしょう。私もネットで検索しました。
(小学1年~6年生の総授業時間に占める国語の授業の割合は、25%。ちなみに小学1年生だけで見ると、34%)

「もしも国語授業が成立していないとしたら・・・・・・」
「もしも国語授業では成果が出ていないとしたら・・・・・・」
驚愕を超えて、落胆し、それから戦慄を覚えるでしょう。
日本の学校教育はこれでよいのか!と叫びたくなるかもしれません。

実は、学校の授業だけに心を痛めているのではありません。
学習塾の国語の授業にも懸念を持っています。多くの学習塾は、数学と英語を重視します。国語の授業は、せいぜい週60分~100分程度。定期テスト対策以外の国語の時間は少ないので、学校ほど致命的ではありません。
しかし、実際の授業形態は、学校でも塾でもあまり変わりません。
大勢の生徒を相手に、一人の先生が、題材文章に対しての、考えや価値観や感覚を伝えている、教えている、のが現状です(時には、漢字練習したり、文法を教えたりするでしょうが)。
昔ながらの、無駄が多く、効果も怪しい、この授業形態を何とか変えられないか、と考え始めました。

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