理究の哲学(エンジン)

第五章 保育・幼児教育の考察①

13【テレビ、ゲームはコントロールすること】(2014.02.03 掲載)

言語学者のノーム・チョムスキーの次のような主張は、子どもを育てるとよく理解できる。「日本語であれ、英語であれ、フランス語であれ、子どもは同じ時期にことばを習得する。したがって、人間には言語を獲得する能力がもともと備わっている」
先天的障害や疾病等で言語機能が失われない限り、言葉の習得に個人差はあるものの、3歳ぐらいになると皆しゃべるようになる。
しかし、小学校に上がるようになると、いや、年少、年中ぐらいから言語能力の獲得に明らかな差がでる。
これはどうしたことだろうか。
能力の発達には遺伝的要素と環境的要素がある。後者は努力と工夫と考え方で変えられることができる。ならば、環境は、親が作ればいい。
東北大学研究グループがテレビの長時間視聴時間の影響を発表した。言語知能を司る脳の前頭前野に悪影響を与える、というものだ。
研究結果を聞くまでもなくテレビの視聴制限の必要性は、親なら感じるところだろう。ただ、それが簡単ではない。なぜならば、テレビやゲームが面白いからである。番組クリエーター達は、自分たちの存在価値をかけ制作している。だから、親も見たい。子供も見ていれば静かである。ゆえに、難問題である。ジャンクフードを食べながらダラダラテレビに釘付けでは、我が子の将来が心配になる。では、どうするのか?
テレビやゲームという“魅力的な怪物”と付き合うためのルールをパパ&ママ間で共通理解し、方針を定めることを勧めたい。
大原則は、“魔物”たちを幼児の段階で親の管理化に置くこと。子育て自由主義者には少々酷かもしれない。細則として、4点
・食事中は見ない
・見たい番組を選択させる
・ 時間制限(30分~1時間)を設ける
・ビデオに撮ったものを見せる

基本的生活習慣を身につける幼児の段階だからこそできる方法だ。
小学生になってからでは骨が折れる。相互に無用なストレスを生むことになる。テレビを置かない、全く見せないという選択肢もある。
『テレビが壊れたから、そのままにしておいた。自然に見なくなった』という稀な知人もいた。
言語能力は、コミュ二ケーションの基本となる。親の工夫力は、コストなしの投資として考えてはどうだろう。

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