理究の言魂(ことだま)

なぜ教育改革は進まないのか

さて、「教育」というと、どうも“経験論” “建前論”の迷路に入り込むイメージがあります。それはなぜでしょうか。

「教育」は、誰もが何らかの実体験を持っています。日本ではすべての人が義務教育を、80%以上の人が高等教育を、およそ50%の人が大学教育を受けています。したがって、その経験から導く自説・持論を持ちやすくなるのは自然なことです。
『私は、学校で叱られたことはありません。叱る教育は断固反対』という方から、『学校の先生には殴られたり、正座させられたりした。それがいいんだよ』なんて方もいます。
各々が“自分の経験論”を基準に評論するので噛み合いません。

“脳”は、自分の都合のいいように記憶すら変えます。たとえば、成功している人は、「学校で厳しく指導されたから今の自分がある」と、考えるでしょうね。不登校を経験した人でも、何とか自分の道を探し、充実した人生を送っていれば「学校不要論」を大上段に振りかざすかもしれません。
どんな意見、見解があったとしても白黒をつけることは難しいのです。そういう性格・事情がある“教育論”は、結局、誰の意見も「肯定」も「否定」もできず、何十年も堂々めぐり。それでも、文科省や地方自治体の教育行政は、私学の“中高一貫教育”における「大学進学実績」の成功を見ては、「公立でも導入すべき」と涙ぐましい努力を過去数十年に渡ってしてきました。1998年(平成10年)学校教育法の改定で、公立中高一貫が設立可能になりました。
現在では、全国で中高一貫校がおよそ600校。その30%強は国公立になりました。平成10年以降にゼロからスタートし、この数になりました。この20年間での公立の対応・変化は凄まじく、入試倍率の高さが物語っています。
一方、私立の中には小・中・高の12年一貫教育(4年-4年-4年に再編)を標榜して、教育実践している学校も出現してきました。私学は、先手先手を打てます。フットワークが軽く、改革もしやすいのでしょう。勿論、私立と言っても千差万別。私たちは、私学を応援しつつも、“本物”かどうかの見極力をつけなければなりません。

[中高一貫教育校数の推移]

※文部科学省 学校基本調査(平成27年度)

“学校制度”と“教育内容”は大きな関係が生じます。昨今話題になっているのは、大学入試絡み。特に英語改革では、都会の生徒と地方の生徒間での不平等、所得格差による機会不均等の問題など。今後も試行錯誤が続くでしょう。
ただ、教育問題は多種多様かつ複雑。障碍児や外国籍の子どもたちの扱いや、小学校への英語導入、プログラミング導入、教員の質、部活の在り方など、上げたら切りがありません。つまり、世間の関心も高い。
教育基本法で謳う「人格の完成」「社会の形成者として必要な資質」「心身ともに健康」など期待値が上がれば上がるほど、課題はぞくぞくと出てきます。国家の教育を担う文部科学省は、何とか閉そく感のある教育問題を解決すべく悪戦苦闘しているものの3つの大きな壁に阻まれ、躓きます。

第1に、法律の壁。教育基本法や教員資格制度。幼児教育に関しては厚生労働省との線引き。
第2は、予算の壁。ICT化(情報コミュニケーション技術)の遅れや少人数学級の遅れなど。
第3は、“皆が口出しできる教育問題”“建前が幅を利かす教育問題”という“世論の壁”

このような妖怪変化の「外的環境」の中で、私的に教育を論じても“暖簾に腕押し”“糠に釘”感は常に付きまといます。さらに、0歳から18歳までの長期に渡る年齢に対して、共通した「教育理念」や「指導理念」を掲げ、語るには“向こう見ずな勇気”と“何らかの補足説明”が必要になることは必定(汗泣)。そのあたりは、あなたが関わる子供たちの年齢に合わせて、間引きしたり、調整したりしながら読んでください(笑)。
では、理究の「教育理念」を解説していきましょう。

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