理究の言魂(ことだま)

NO6 指導理念

私の“トラウマ”エピソードを書きました。似たり寄ったりの経験は誰にでもあるでしょうね。汗かき、頭かき、恥かき人生の1コマです。はい、ほんの一部です。

難しいことを易しく 易しいことを深く 深いことを面白く教える

NO6-1 『ママ、「右」って何?』

幼い子に「右」って何なの?って聞かれたら、あなたは何と答えますか?どう対応し、どう説明するのでしょうか。
きっと、聞かれた時の場面や状況によって変わるかもしれませんね。忙しく心に余裕がなかったり、会話することが憚られる(静かな教会の中)場所だったり、幼稚園受験や小学校受験の親子面接だったり(汗)・・・
『「右」って何?』は、幼子の問いなので、少なくとも思想的な「右」でなく、方向としての「右」を指していることは、間違いはない(笑)

『右はね・・・お箸を持つ方の手よ。だから、こっちが右・・・』
相手と向き合っていると・・あれ?逆になる。
『ピアノを弾くときに、ほら、だんだん音が高くなる方があるでしょ?ドレミファソラシドって。高くなる方が右って言うんだよ』・・ほぉ~。
あなたはどう答えますか。

“この問い”―実は、辞書編集部の人間模様を描いた「舟を編む」(三浦しをん 著)から頂戴しました。『キミは「右」を説明しろと言われたら、どうする?』という上司からの質問に、主人公の馬締(まじめ)くんが、真面目に答えます(笑)
この小説の登場人物たちは、辞書編集の仕事人。つまり言葉のプロたち。苦労しながらもテキパキと正確に注釈していきます。辞書編集の醍醐味でしょうね。普通の人は、当たり前すぎる言葉や用語ほど解釈や説明に難儀するものです。たとえば、『匠(たくみ)のこだわりの逸品』なんて目にしたり、使ったりします。

舟を編む (光文社文庫)

舟を編む (光文社文庫)

教材開発のプレゼンでも『今回の中学受験の教材は、他社にない〇〇に拘り・・・・』というように少々耳障りな“こだわり”を気にせず発しています。『こだわり』は、いい意味で使ってはならない言葉で、誤用だそうです。『こだわり』の本来の意味は、『拘泥(こうでい)する事。難癖(なんくせ)をつけること』と、小説の中で指摘あり。
先ほどの「右」について、『「ペンや箸を使う手の方」というと左利きの人を無視することになる』とか、『「心臓のない方」といっても心臓が右にある人もいる』とか・・・辞書編集では、公平さ、正確さを追究しています。凄い世界です。ちなみに、辞書界の最高峰オックスフォード大辞典(OED)の第1版(全10巻)は1928年の刊行に70年の歳月を費やしたそうです。デジタルの世界が出現する前の超アナログな世界。いやいや、オソロシイ時代でした(汗)

さて、辞書の中で「右」を教える・伝える内容と、目の前の相手に対して「右を教える」内容は、異なる言葉・方法になるでしょう。
たとえば、対面ならば『クレヨンを持って、ここに〇を書いてごらん』と聞くことができます。右手を使えば、「それが右」。左手ならば「反対の手の方向」と言えば済み、事足ります。

つまり、対面式指導は、省エネであり、指導しやすいのです。何しろ、目の前の学習者の反応がリアルタイムでキャッチできる。その表情―チョットした身体の動き、表情や目の動きに指導者の頭脳は目まぐるしく稼働します。微調整、微修正が可能であり、優秀な指導者は、それを見逃さずに的確に指導します。特に幼児や小学生のように言語能力が発達途上の年齢層は猶更です。
対面式指導は、経験値による指導者感性のウエイトが高い。それゆえ、“指導方法”や“指導手順”そのもののマニュアルや公式化が難しいのです。感覚・感性というものは言語化しにくく、常に“曖昧さ”が帯同します。それはそれで仕方がない、と割り切ることも重要。ただ、コロナ禍では、非対面を余儀なくされました。新しい非対面での指導方法を探るチャンスだと考えられます。それを研究することで、対面式の“弱点”を補強できるやもしれません。

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