理究の言魂(ことだま)

NO12-4 ケ--検査=テスト

「学びが変わればテストが変わる・・学びが変われば未来が変わる」
ある中学受験大手塾の広告。変化を捉えてのタイムリーな宣伝にはいつも感心させられます(汗笑)

「大学入試センター試験」改め、2021年からは「大学入学共通テスト」と名称が変わりました。新・学習指導要領で求めている“読解力”を意識した問題が各教科で散見しており、文科省の意気込みを感じました。今回の「大学入学共通テスト」は、来年以降の高校入試や中学入試にも少なからずインパクトを与えるでしょう。ただ、ご承知の通り、大学入試改革の大看板だった①「英語民間検定試験」②「記述式問題」の導入は見送り。結果として、初年度は大山鳴動ネズミ一匹も出ず・・・。今後、①②をどのように扱い、どんな入試改革を進めるのか、目を離すことはできません。
新・学習指導要領に基づく教育を受けた中学生が高校3年生になる2024年度に向かっての教育論議喧噪(=入試改革論争)がまた始まります。
大学入試の動向は、小・中・高のカリキュラムや入学試験問題の内容に影響をもたらします。カリキュラムと検査=テストは、表裏一体、一心同体の関係です。

私たちの仕事は、幼児、児童、生徒の資質や能力を伸ばしたり、志望する学校に合格させたり、子ども達の保護者のサポートをしたり、何らかの“結果”が問われる仕事です。その果実は、容易には予測できません。
成果が結実するプロセスに様々なドラマがあり、悲喜こもごもの人生のストーリーも生み出します。人間の成長を感じることができる遣り甲斐のある営みでもり、感動も共有化でき、面白い仕事でもあります。
また、保育園や放課後キッズ(学童保育)で“気になる子”(障碍児または障碍児傾向のある子)の「早期発見」と「適切な対応」という重要な任務もあります。

私たちの使命は、目標・ゴールに向かって、日々変化する状況、事実を把握し、最善の策を練り、実践することです。その“基準”や“道しるべ“になる大きな要素が【検査(=テスト)】。よって、それに労力・知恵・資源をつぎ込むことは当然のことです。が、それなりに難しい。
【検査(=テスト)】は、必ず【評価】が伴います。運動会の徒競走では、必ず1等、2等・・・ビリと順位がつくのと同じです。つまり【検査(=テスト)】→【評価】となるのが必定であり、セットなのです。しかし、この重要な工程が、従来はアナログ作業なために膨大なエネルギーが必要でした。よって、多くの教育機関では、どうしても蓄積や継続や分析に支障がありました。しかし、ここ数年でデジタル化が格段と進み、省エネで【検査(テスト)→評価】ができる環境が整ってきました。

現在、理究Gでは、全国およそ400か所で実施されている読書指数診断®テストなどIBT化に取り組み始めています。(IBTとはInternet Based Testingの略で、インターネット経由で行う試験のことを指します。 インターネット配信のため、場所、時間に縛られずいつどこでも受験可能なシステムです)
IBTはペーパー(アナログ情報)からネットデバイス利用(デジタル情報)の転換を意味します。よって、データの蓄積が可能であり、分析も自動化できるので、生徒一人ひとりの弱点項目や領域別のバラツキ、成績の伸び率など多面的な評価ができるのです。【検査(テスト)→評価】の質的向上の目的は、次なる方策―一人ひとりへのケアや対策(授業)に活かすためです。

ことばの学校 読書指数®診断

【検査(テスト)→評価→修正検討→対策実施】という循環を可能にし、そのレベルを向上させていくことは保育・教育サービス業にとって重要かつ核心的な営みだという事なのです。
ただし、その【検査(テスト)→評価】の使い方には注意が必要。理由は2つあります。

1つは、多くの人達が無意識のうちにテストを敬遠していることです。少なくともマイナスイメージを持っている方が多い。なぜならば、テストが自己体験の中で非常にデリケートに扱われてきたからです。
たとえば、誰でも経験している合格か不合格かという場面、その凄まじいほどの緊張感は、当事者にとっては長くは耐えられないものです。人間の成長には必要な試練なのですが、多くの人は受験を“必要悪”と感じているかもしれません。また、40人学級でトップになる生徒は一人しかいません。残りの39人がもしもトップを狙ったとしたら全員が敗北感を味わうことになります。本当は失敗でも何でもないのですが、親は平気でトップを取ることを要求しています。子どもはその親の期待に応えようとするのです。
テストに関して、多くの人が挫折や落胆を経験している可能性が高いことが推察できます。子どもの頃の心の痛みを我が子には回避させたいというのが親心。よって、【検査(テスト)→評価】に対して、センシティブになるのです。

2つめは、少々乱暴な言い方になりますが、戦後教育における平等主義の蔓延が【検査(テスト)→評価】に色を付けてしまったことです。それは、学校に競争の存在を認めず「平等」という“理想”-それは幻想にすぎないのですが-を掲げてきました。憲法でいう平等主義の本質的な狙いは、「機会均等」。それが知らず知らず耳障りの良い“能力均等”にシフトされてしまいました。考えてみれば誰にも分かります。こんなおかしな事が「学校教育」でまかり通っていたのです。
能力が同じであるはずはありません(笑)多様化・個性化が叫ばれるようになったのは、そう、最近の事です。それでも「多様化・個性化を一律に導入する」と各方面で主張され始めました。・・・え?一律でないのが多様化なのに!?・・・そうです、多様化や個性化という文化が本物になっておらず、自己矛盾する表現もまだまだ目立つ日本です(笑泣)
学校から、教育から競争原理を排除して誕生してきた“能力均等観”の集合心理は、いまだに今の親世代に深く残っています。

指導者たちは、世の中には、【検査(テスト)→評価】に対して、アレルギーを持っている事実を認識する事と、指導者たちは【検査(テスト)→評価】を実行できる権力(=意思力&判断力&強制力)を持っているという自覚を持つことです。
その上で、【検査(テスト)→評価→修正検討→対策実施】のサイクルを回すことが重要視されています。私たちも研究、精進することが求められます。

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