理究の言魂(ことだま)

NO6-3 鮮明に記憶に残る「トラウマ」

苦い経験=トラウマ(心の痛手、傷)があります。
大学生の時、教員免許取得に必要な単位に教育実習がありました。現場=小学校に出向いて1ヶ月間の実践トレーニングです。5月のGW明けから6月中旬まで、いい季節でした。実習校は国大鎌倉附属小。鎌倉駅から段葛(だんかずら)を歩いて鶴岡八幡宮。その隣の学校です。素晴らしい立地。今でも鎌倉に行くと走馬灯のように記憶が蘇ります。
始発電車に乗り、終電で帰宅する毎日です。まぁ、修業ですから当然のことのようにやっていました。担当学年は入学ほやほやの小学1年生。担任教諭の山本先生にお世話になりました。とてもおおらかな先生で、目を閉じると今でもその笑顔がはっきりと思い浮かびます。
その時のエピソードです。実話です(汗)

教育実習生(当時は大学4年生)は、教育実習期間に授業見学&レポート以外に、10時間の授業実施とクラス担任1日体験を任せられます。そこで篩(ふる)いにかけられます。1つ1つ評価され、それをクリアすると単位が与えられ、教員志望者は公務員試験に進みます。小学校では、全教科教えることが義務付けられていました。修業期間も着実に進み、幸いなことに、受け持った授業は全教科、高評価を得ていました。残るは、音楽の授業のみ。ここでしくじってはならない、敬愛する山本先生に太鼓判を押してもらいたい、の一心だったと思います。

さぁ、あと1時間だけです。予習に予習を重ね、 ♪ぶんぶんぶん ハチがとぶ♪ の単元を指導することになっていました。なぜ、小学校1年生の授業ぐらいで予習??・・と思いませんか?
しかも ♪ぶんぶんぶん ハチがとぶ♪ 簡単な曲です。そうです、それなりの理由があります。私は、音楽が苦手。中学生のときも通知表は3。大学でも仲間の支援、特訓をうけ、課題であったバイエルをギリギリセーフ、クリアする程度のスキル(泣)
授業の導入のために“蜂の絵”をばっちり描きました。ピアノの練習にも余念なく、完璧な状態で臨みました。
大きな“蜂の絵”の画用紙をおもむろに出しながら
『さぁ、みんな、この絵は何かな~?』(自信満々の導入です)
生徒の視線が、私が書いた絵に集中するのがわかります。
(うん、まずまずだな)
ところが、生徒のひとりが
『あ!あ!ハエだ!』と・・・
一瞬、動揺している自分がいました。
『うん、似ているけどね~・・・お、おしいなぁ~』
脇に汗が出始めているのを感じました。きっと顔も引きつっていたのでしょう。
小学1年生とはいえ、大人顔負けの忖度をする子もいます。
『ちがうわよ、蜂よ。蜂だわ』と、救いの手。
(流石、附属の生徒だ、よし)
ところが、運が悪いことに、もうひとりの生徒(悪がき)が、窓際にハエが死んでいるのを見つけて『あぁ~ハエが死んでる!!』と、大真面目に言うではありませんか。(オイオイ!このタイミングで言うか!)

この一言で教室中大騒ぎ。クラス全員(場をわきまえている女の子数人以外)がその死んでいるハエ見たさに移動するのです。入学したての小学1年生です。保育園、幼稚園を卒園して2ヶ月しかたっていない幼子たちの集まりなので仕方がない、といえば仕方がない(泣)
当然ですが、誰も助けてくれません(汗)数分間ドタバタ騒ぎ。
何とか、何とか 取り直しをさせて、授業を再開したものの私の授業は「♪ぶんぶんぶん!ハエがとぶ!♪」「♪ぶんぶんぶん!ハエがとぶ!♪」の大合唱になっていきました。しかも“ハエ”のところは大声、というか怒鳴り声。クラスの全員が何かに取りつかれたように。
私は、顔を真っ赤にしながら、汗だらだらでピアノを弾いていました。私のプライドは、あっと間にどこかに吹っ飛んでいきました。山本先生は、教室の最後尾の席に座って、腹を抱えて笑っていました。
授業後は「敗北感」「後悔」で落ち込みました。

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